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Motley Crue - History (Early Days - 1981)
※Motley Crueのバンド・ヒストリーを年代別に網羅!
Early Days |
<Mick Mars (ミック・マーズ)>
本名:Robert (Bob) Alan Deal (ボブ・アラン・ディール)、アメリカのインディアナ州
Terre Haute (テレホート)で1951年5月4日に生まれる。
(※かつてMickの出生については諸説があり、生年月日が1956年4月3日生まれ(13日説もあった)、出生地が同じくインディアナ州のHuntingtonという説もあったが、近年は上記がスタンダード?とされている)
少年時代にインディアナからカリフォルニアへ家族で移住したBob(Mick)は、14歳で初めてのバンド
JADES'(ジェイディズ、BEATLESのカヴァー・バンド)に参加。以後、数多くのバンドを経て、1974年にLAをベースに活動していたトップ40バンド
WHITEHORSE(ホワイトホース) に加入。このバンドでミュージシャンとして本格的な活動を開始。
WHITEHORSE脱退後、Bob(Mick)は元WHITEHORSEのメンバーと組んだバンド
VENDETTA(ヴェンデッタ)でプレイしていたが、先の見えない活動状況と、かねてから大嫌いだった忌わしい本名(頭文字をつなぎ合わせると
B.A.D)と決別するため、自身の名前を改名。1980年1月からMick
Marsと名乗る。
VENDETTAの解散後は、サザン・ロックバンド
SPIDERS & COWBOYS(スパイダーズ&カウボーイズ)、パンク /
ニューウェーブバンドVIDEO Nur(ビデオ・ニュル)などに参加。
プライベートでは19歳で当時のバンド・メイトの友人Sharon(シャロン)と結婚。長男
Les Paul (レス・ポール / 1971年生まれ),
長女 Stormy (ストーミー / 1973年生まれ)の2人の子供をもうける
(その後、Sharonとは離婚)。さらに1976年には、当時交際していたガールフレンドMarcia(マルシア)との間にErik(エリック)が生まれている。
ただしミュージシャンとしての活動の傍ら、日々の生活と養育費の捻出の為にハードに働く毎日はMickの体を蝕み、のちにMickを悩ますことになる背骨の病気「脊椎炎」はこの頃に発症している。
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<Nikki Sixx (ニッキー・シックス)>
本名:Franklin Carlton Serafino Feranna (フランク・カールトン・フェラーノ)、アメリカのカリフォルニア州
San Jose(サンノゼ)で1958年12月11日に生まれる。
フランク・シナトラのバックコーラスをしていた母親
Deana Haight(ディーナ・ハイト)とハリウッドの高級アパート
Sunset Towersに住んでいたFrank(Nikki)は、4歳で母親と彼女の再婚相手とLake
Tahoe(California)に移住。その後、Mexico、Pocatello(Idaho)、さらに母親と別れて祖父Tom,
祖母Nonaと共にEl Paso(Texas)、Anthony(New
Mexico)、Twin Falls(Idaho)、Jerome(Idaho)に移り住みながら少年時代を過ごす。
再び母親と暮らし始めたシアトルのハイ・スクール時代にミュージシャンを志したFrank(Nikki)。当時の友人Rick
Van Zantのバンドに"ベーシスト"が必要と聞き、人生で初めて手に入れた楽器はシアトルの楽器店West
Musicで間違えて盗んだ"ギター" (後に、そのギターを売った金でリッケンバッカーを手に入れる)。
ハイ・スクールでマリファナを売って退学となり、行き場を失ったFrank(Nikki)は再び祖父母の居るJeromeに戻っているが、伯母Sharon(シャロン)の家に居候するカタチでLAに移住
(彼女の夫はCapitol Recordsの重役だったDonで、Frank(Nikki)は彼から音楽業界の話を聞くのが楽しみだった)。すぐに伯母の家を出たFrank(Nikki)は、Melrose
Avenue近くのアパートに居を構え、レコード店「Music
Plus」で働きながら17歳でLAでの生活をスタートさせる。
当時、生活費を稼ぐためにバーバンク大通りの酒店「Magnolia
Liquor」でも働いていたFrank(Nikki)は、客として酒を買いに来た黒髪で猫背のミュージシャンに出会い、「感じ悪いヤツだ」と思いながらもその男のギグを見に行き、共に酒を飲み交わしている。その男の名前はBob
Deal、後のMick Mars。
LAでのFrank(Nikki)は、ヘア・ドレッサーのRonと組んだバンド
REX BLADE(レックス・ブレイド)を皮切りに目まぐるしくバンドを渡り歩き、後にヘビーメタル・バンド
W.A.S.Pでデビューする Blackie Lawless(ブラッキー・ローレス)のバンド
SISTER(シスター)に1979年に加入。SISTERではデモ・テープの制作まで行っているが、互いにリーダー気質の2人は程なくして角を突き合わせることになり、Frank(Nikki)はBlackieから解雇される。
その後、以前に参加したバンドを通じての友人であり、同じくSISTERを解雇されたギタリスト
Lizzie Grey (リジー・グレイ) と新バンド
LONDON(ロンドン)を結成。このバンドがNikkiのミュージシャン活動における本格的な一歩となる。
当時、後にMotley Crueのアルバムに収録されることになる曲"On
With the Show"を書き上げたFrank(Nikki)は、この曲で自身の本名を抹殺
(Frank〜は子供の頃に家族を捨てて出て行った実の父親と同じ名前。当時のNikkiは父親に会いたくなりコンタクトを取ったが、逆に冷たくあしらわれ憤慨していた)。
ガール・フレンド Angieの元彼氏でサーフ・ロックバンド
JON & THE NIGHTRIDERSのベーシスト Niki
Syxx から引用拝借したNikki Sixxに改名 (しばらくは通称として用いていたが、1980/11/07に裁判所に書類を提出し正式改名)。
結成当初のLONDONは、ベーシストのNikki, ギタリストのLizzieの他に、Dane
Rage (Dr), John St. John (Key), Michael White
(Vo)の布陣となっていたが、後にヴォーカリストが元MOTT
THE HOOPLEのNigel Benjaminに交代。 それなりの知名度を持つNigelが加入し、マネージャーとして
Liveハウス「Starwood」(スターウッド)のオーナーDavid
Forestが後見役となったことで、バンドはLA界隈での知名度を高めていく。
当時のNikkiは"Radio Star", "Can't
By Love"など当時のLONDONのナンバーの多くをギタリストのLizzieと共作しているが、その中には後にMotley
Crueのアルバムに収録された "Public Enemy
#1"も含まれている。
その後、LONDONはLA界隈でのクラブ・ギグの他、数曲のデモをレコーディングするなどして活動を続けていたが、バンドの方向性に違和感を持ったNikkiは、自身のビジョンを具現化する新たなバンド結成を決意。1981年初頭にLONDONを脱退している。
(Nikki脱退後もLONDONはLizzieを中心に活動を続け、1985年にアルバム「NON
STOP ROCK」でメジャー・デビュー。度重なるメンバー・チェンジの中には、Blackie
Lawless(W.A.S.P), Slash, Izzy Stradlin(GUNS
N' ROSES), Fred Coury(CINDERELLA)などが含まれている)
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<Vince Neil (ヴィンス・ニール)>
本名:Vincent Neil Wharton (ヴィンセント・ニール・ワートン)、アメリカのカリフォルニア州
Hollywood(ハリウッド)で1961年2月8日に生まれる。
少年時代、カリフォルニアでも治安が良くないとされている地区(Inglewood、Watts、Compton)を転々と移り住み、学校をサボってサーフィンに夢中になっていたVinceは、高校生で加入した
ROCKANDI(ロックキャンディ)でバンド活動をスタート。
類い稀なスター性を持つVinceのルックス, 歌唱力と、CHEAP
TRICK, SWEET, AEROSMITHなどのカヴァーを得意とするバンドはパーティ・バンドとしてローカル・シーンで人気を呼ぶ
(後にMotley Crueがカヴァーすることになる
BROWNSVILLE STATIONのヒット曲 "Smokin'
In The Boys Room"も、当時のROCKANDIのレパートリー)。
17歳で当時のガール・フレンド Tami(タミ)との間に長男
Neil Jason Wharton(ニール)をもうけ、子供の養育費を稼ぐためにVinceは高校を自主退学。その後Tamiと別れ、復学したRoyal
Oak High Schoolで同じくバンド活動をしていたTommy
Bass(後のTommy Lee)と出会い、学校をサボってジャムするなどしていた
(再び高校を辞めて家に戻れなくなったVinceは、Tommyの自宅に止められた車やTommyの部屋の床でしばらく生活している)。
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<Tommy Lee (トミー・リー)>
本名:Thomas Lee Bass (トーマス・リー・バス)、ギリシャのAthens(アテネ)で1962年10月3日に生まれる。
アメリカ陸軍の軍曹だった父親とミス・ギリシャの経歴を持つ母親の間に生まれたTommy、子供の頃に一家でLA郊外の街Covinaに移住。幼少期のTommyはピアノ,
アコーディオンなどの楽器や、バレエ・ダンスなど様々なことに興味を持つ。
その後、最初の高校で入部したマーチング・バンドでドラムに触れ、転校したRoyal
Oak High Schoolでカヴァー・バンド U.S. 101(ユー・エス・ワン ハンドレッド ワン)を結成。各地のスクールで行われるダンス・パーティなどに出演し人気を集める。
カヴァー・バンドでの活動に飽きたTommyは、新たにSUITE 19(スイート・ナインティーン)に加入。TommyとGreg
Leon(G), Jon Kemp(B)によるトリオ編成のバンドはオリジナル曲を中心に活動し、UFO,
Y&T, QUIET RIOTなどのサポートとしてクラブでのギグを行う
(バンドはLAのライブハウス「Starwood」に度々出演していたが、SUITE
19のチェックに訪れたNikkiは、そこで当時のTommyのプレイを見ている)。
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Band Beginning |
1981/01
Nikki Sixx、SUITE 19のギタリストGreg Leonと新バンド結成に向けてリハーサルを試みる。Gregはドラマーの候補として元SUITE
19のTommy Bassを推薦。
NikkiはTommyにコンタクトを取り新バンドへの加入を打診。かねてよりLONDON(Nikki)のファンで、部屋の壁にポスターを貼っていたTommyは迷うことなくこの誘いに応じ、ステージ・ネームをTommy
Leeに変えてバンドに参加。
Gregのスタイルが気に入らなかったNikkiは、新たにRobin(ロビン)なるギタリストを加入させる。
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1981
オーディションを行い、新バンドにヴォーカリストとしてO'
Dean(オー・ディーン)が加入。
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1981
Tommy Lee、「The Recycler」(リサイクラー)紙にて次のような広告を見つける、広告主はMick
Mars...
「Loud, Rude and Aggressive Guitarist
Available
(当方、音がデカくて下品、そして攻撃的なギタリスト)」
Tommyからオーディションへの参加要請を受け、友人のMazda
RX-3に機材を詰め込みNikkiの家に赴いたMickは"Stick
To Your Guns", "Toast Of The Town",
"Public Enemy #1"などを続けてリハーサル。互いに手応えを感じ、Mickの新バンドへの加入が決定。
当初のMickは"2人目のギタリスト"としてのオーディションであったが、先にバンドに参加していたRobinを邪魔に感じたMickは「ヤツは不要」とNikkiとTommyに進言。
結果、Robinはクビになる。
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1981
Nikki, Tommy, Mick、当時のローカル・シーンで人気を博していたバンド
ROCKANDIをチェック。そこで目を引いたのは全身を白いコスチュームで包んだスター・シンガー
Vince Neil。
Vinceの存在感に圧倒された3人は Vinceのスクール・メイトであったTommyを足がかりにVinceの獲得を試みるが、ROCKANDIでの活動に満足していたVinceは
この申し出を快く思わず、オーディションを受ける約束はしたものの、結局、そのオーディションをすっぽかす
(Vinceは、かつてのスクール・メイトであるTommyを傷つけないために、その場ではお愛想でOKの返事をしていた)。
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1981
バンドはスタジオに入り"Stick To Your
Guns", "Toast Of The Town",
"Nobody Knows What It's Like To Be Lonly",
"Tonight "(THE RASPBERRIESのカヴァー)をレコーディング。途中でレコーディングの時間が足りなくなり、TommyはNikkiの指示でエンジニアの女性を口説きに(ファックしに)行く。
ただし、ヴォーカリスト O' Deanに限界を感じた3人は彼をクビにすることを決意。MickはROCKANDIのヴォーカリストの加入を再び強く希望。
(※O' Deanは、解雇後もLA界隈でシンガーとして活動を続け、後にローカル・エリアのR&B,
ゴスペル分野における、様々なセッションに参加している
(らしいが、特に作品などは残されていない模様))
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1981
Tommyからの誘いを無視していたVince、ROCKANDIの活動方針の変化(ニュー・ウェイヴバンドへの転身)に伴いバンドを脱退。そこへタイミングよく再びコンタクトを取って来たTommyの誘いに応じ、遂にオーディションへの参加を確約
(VinceはTommyからの「なぜ電話してくれなかった?」の問いに、「電話番号を書いた紙をジーンズと一緒に洗ってしまった」と言い訳をしている)。
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1981
ブロンドの彼女Leah(リー / バンドによりラヴィと呼ばれる)を伴い、当時のアメリカの人気車
DATSUN 280Zで颯爽とオーディションに現れたVinceは、すぐさまバンドとのリハーサルを開始。3人はVinceの驚異的な歌唱に満足し、ここにオリジナル・フォーが集結。
NikkiはVinceの声に合わせ、その場で手持ちの曲を手直し。"Live
Wire"はこの瞬間に創りあげられた。
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1981
バンド初のLiveを目前にして決定していなかったバンド名について、当時のNikkiの自宅でミーティングが開かれ(当時のNikkiは、The
Orchidsなるバンドで活動していた女性ドラマー
Laurie Bellと同棲していた)、Christmas (XMAS),
TROUBLE, BAD BLOODS等の候補の中から、Mickがかねてから暖めていたバンド名「Mottley
Cru」を採用。Nikkiが綴りを「Motley Crue」に変更し、より攻撃的な雰囲気を醸し出すため
ドイツ語で使われる「・・」(ウムラウト)が
"o"と"u"に付けられる。(※当サイトでは省略しています)
この場に同席していたDon Adkins(後にバンド初のシングル、"Stick
To Your Guns" / "Toast Of The Town"のアーティスト写真を撮影したカメラマン)は、Nikkiが付け加えたウムラウトに対し「文法的におかしい」と助言を送るが、Nikkiは「でも、見た目がクールだからいいよ!」と断言。この時点でバンド名が確定する。
また、上記のDonはNikkiに頼まれて手作りのMotley
Crueバッチを100個製作するが、これがバンド初のマーチャンダイズとなる(バッチは、バンド・ロゴをボール紙に貼り付けて作った簡素なもの)。
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1981/04/24
■First Show
LAのクラブ「Starwood」(スターウッド)におけるYesterday & Today(後のY&T)のオープニング・アクトとして、Nikki,
Tommy, Mick, Vinceによる新バンド Motley Crue(モトリー・クルー)がLiveデビュー。
<1981/04/24, 25 - Los Angeles, CA (Starwood)>
・Take Me To The Top
・Stick To Your Guns
・Nobody Knows What It's Like To Be Lonly
・Public Enemy #1
・Toast Of The Town
・Too Fast For Love
・Paperback Writer ※
・Why You Killing Yourself ※
・Tonight ※
(※上記のショウのみ、曲名は演奏された曲のリストであり、曲順にあらず)
(※06 - THE BEATLESのカヴァー、07 - Motley
Crueによる未発表曲、08 - THE RASPBERRIESのカヴァー。
02はMotley CrueのLive DVD 「LEWD, CRUED,
& TATTOOED, / マキシマム・ロック・ショー」のオマケ・トラックとして収録されている)
<初期のLive>
直前まで通しのリハーサルをせず、それなりのプロ経験があるMickが苛立つ中で始まったデビューLive。客の殆どがYesterday
& Today目当てであり、バンドのふてぶてしい態度は反感を買い、記念すべきデビューLiveの1曲目
"Take Me To The Top"を演奏中にいきなりケンカが始まる。Vinceはすぐさま応戦、Nikkiはケンカをふっかけてきた男をベースで殴る(このエピソードは後にバンドの荒々しさを象徴するものとして広告宣伝に使われる)。
波乱の幕開けとなった初日を何とかこなしたバンドも、2日目の2回目(デビューLiveは2日連続(1日2回公演)で行われた)には歯車が噛み合い始め、初日の評判を聞きつけたキッズが殺到。Mickはこの瞬間に手ごたえを感じる。
とはいえ、その数日後(05/15)にPasadena,
CAのサンドイッチとビールの店「Pookie's」で行われたLiveに集まった客はたった13人!
おまけに衣装が到着せず「普段着」でのLiveを強いられる
(ただしギャラ代わりにバンドが飲み食いした費用は100ドルを超えた)。
その後、バンドは数本のショウを通してMotley
Crueとしての基礎を固めていく。
<Starwood>
Motley CrueのデビューLive会場となった「Starwood」(正式名称はThe
Starwood Nightclub)は、 West HollywoodのSanta
Monica Blvd.とCrescent Heights Aveが交差する北西の角に立地。
1973年の開業以来、Motley CrueやQUIET RIOT,
VAN HALENといったハードロック系バンドがビッグになる前に使用していたクラブという側面の他、THE
RUNAWAYSやTHE KNACKなどのアメリカ産ロック・バンド、
THE DAMNED, THE JAMといったイギリス系バンドのLA公演の舞台となるなど、特に個性的なバンドのブッキングを得意としていた。
ただし、1981年の後半になり、クラブでの薬物蔓延、オーナーの殺人事件への関与疑惑、放火騒ぎなどのトラブルが相次ぎ、この年をもって9年間の歴史を閉じている。
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1981
バンドのマネージャーとして、Mickの友人の義兄弟で建設業を営んでいたAllan
Coffman(アラン・コフマン)が名乗り出る。Allanは各メンバーに週に20ドルの給料を支払うことを約束するが、その見返りとしてAllanに有利な条件での10年に及ぶマネージメント契約を提示。金に困っていたバンドは即座に契約書にサイン。
Allanは「Coffman & Coffman Productions」なるマネージメント会社を立ち上げるが、Allanの資金力・商才を見抜いたNikkiは巧みにAllanにアイデアを持ち掛け、無名バンドにも関わらずバンドの待遇は向上。当時のバンドは比較的高価な機材を使用していたが、これらの機材はSherman
Oaksの楽器店「Goodman Music」のスポンサードにより、広告出演の見返りで得たもの。
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1981
バンドは結成されたものの、まだまだ遊び仲間の範疇だったMotley
Crue(Mickをのぞく3人)は、LAの中心地Sunset
Strip界隈を拠点にシーンを形成。後にハード・ロックバンド
RATT(ラット)でブレイクするRobbin
Crosby,
Stephen Pearcyなども交え、彼らは「Gladiators」(グラディエーターズ
/ 剣闘士)と名乗っていた。
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LEATHER RECORDS |
1981/05
1981年4月、自主制作シングル制作のためにLAのスタジオ「Crystal
Sound Studios」に入り、"Stick To Your
Guns", "Toast Of The Town",
"Nobody Knows What It’s Like To Be
Lonely", "Tonight "(THE RASPBERRIESのカヴァー)の4曲をレコーディング。「LEATHER
RECORDS」のレーベル名にて、"Stick To
Your Guns"をA面、"Toast Of The
Town"をB面とする7インチ・シングルが1000枚制作され、翌月の5月にリリースされた。
→ シングル詳細情報
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1981/06
Vince, Nikki, Tommy、LAのクラブ 「Whisky
a Go-Go(ウィスキー・ア・ゴーゴー)」近くのアパートの1室、通称
"The Motley House"に揃って移り住み、ロックと酒とオンナ、そしてストリートでのトラブルに巻き込まれる日々を送るようになる
(Mickは一人だけ、Redondo Beach(レドンド・ビーチ)にガールフレンド(バンドでの通称:The
Thing(あの物体))と一緒に住んでいた)。
3人は2つあるベッドルームを毎月ローテーションする取り決めをするが、結局はNikkiが1つの部屋を占拠し、VinceとTommyが2人で1部屋をシェア。また、とにかく金が無かった当時の3人の食生活は、彼らを取り巻く気前の良い女性たちに依存されていた。ちなみに3人が住んでいた"The
Motley House"(アパート)の住所は、1140
North Clark Street。建物は改装を経ながらも現存している。
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1981
■Club Days
徐々に本格化するステージ演出のため、VinceとTommyは15個のライトが埋め込まれた白いドラム台を制作
(ドラム台は後にRATTに譲り渡され、彼らのヒット曲
"Round And Round"のプロモーション・ビデオで見ることが出来る)。
シングルのリリース後、Allanの指示によりLiveは行き当たりばったりでブッキングされ、1981年の6月から11月まで約20本がLA周辺のクラブで行われているが、回を追うごとにバンドは着実に評判を高め、LAのクラブ「Troubadour(トルバドール)」の動員記録を塗り替える
(結局、レコード店にはさほど置いてもらえなかったシングルの殆どは、この時期にStarwood,
TroubadourなどのLive会場でバラまかれる)。
<1981/10/02 - Los Angeles, CA (Country Club)>
01. Take Me To The Top
02. Two Timer ※
03. Come On And Dance
04. Piece Of Your Action
05. Merry - Go - Round
06. Too Fast For Love
07. Toast Of The Town
08. Stick To Your Guns
09. Starry Eyes
11. Live Wire
12. Helter Skelter
13. Jailhouse Rock
(※02 - SCORPIONSの元ドラマー Herman Rarebellが1981年にリリースしたソロ・アルバム「NIP
IN THE BUD (邦題:奇襲攻撃)」収録曲)
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1981/08
宣伝用の素材として、Motley Crue初のプロモーション・ビデオの撮影がL.AのInternational
Rehearsal Studiosで行われ、"Take
Me
To The Top", "Public
Enemy #1"の2曲が収録される。(※後に、このビデオ2曲は2003年にリリースされたDVD「GREATEST
VIDEO HITS」のシークレット・トラックに収録された)
上記ビデオのディレクターは、後にヘビーメタル・バンド
W.A.S.Pでデビューする Randy Piper / ランディ・パイパーの(当時の)妻
Bell Piper。撮影には11時間かけられたが、そのうち9時間はメンバーのヘア・メイクに充てられた。
また、同時期には、ラジオ局向けに4曲入りのサンプル・カセットを配布。そちらのカセットには01."Public
Enemy #1", 02."Take Me To The Top",
03."Stick To Your Guns", 04."Toast
Of The Town"の4曲が収録されていた。
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1981
Motley Crue公認ファン・クラブ「S.I.N」(Safety
In Numbers)発足。
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TOO FAST FOR LOVE (Leathur) |
1981/12/11
LAのスタジオ「Hit City West」にてフル・アルバムのレコーディング。「TOO
FAST FOR LOVE」と題されたこのアルバムは、自主制作(インディーズ)レーベル「Leathur
Records」から1981/12/11にリリースされた。
→ アルバム詳細情報
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1981/12
アルバムのリリースを記念して「Troubadour」で行われたパーティにて、Nikkiは元RUNAWAYSの女性ギタリストLita
Ford(リタ・フォード)と知り合う。当初は偽名を用いたNikkiだったが、お目当てが自分だと判り、速攻で名乗り出る。
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1981/12
■Leathur Days - 1981
アルバムのリリース後、バンドは再びカリフォルニア周辺のクラブでショウを実施。「Whisky
A Go-Go」を中心に翌年の5月まで散発的に行われる。既にクラブ・レベルでは成功を手にしていたバンドは常にメイン・アクトとして出演。この頃にオープニングを務めたバンドはDOKKEN,
STORMER, DuBrow, A LA CARTE, AMERICAN HORSEなど。
<1981/12/11 - Los Angeles, CA (Whiskey A
Go-Go)>
01. Take Me To The Top
02. Running Wild In The Night ※
03. I Will Survive
04. Toast Of The Town
05. Starry Eyes
06. Piece Of Your Action
07. Come On And Dance
08. Too Fast For Love
09. Merry - Go - Round
10. Live Wire
(※03 - Motley Crueによる未発表曲)
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1981/12/31
ライブハウス「Troubadour」でNew Year's Eveのメイン・アクトとして登場。このLiveには当時Vinceの面倒をよく見ていたVAN
HALENのDavid Lee Rothが "Jailhouse Rock"で飛び入り出演。
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1981 1982≫
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